キナウル→スピティ。改めて宗教について考えさせられた旅
*改めて宗教について考えさせられた旅*
インド人の観光地、シムラーから東、そして北へ、どんどんと高度が上がり、キナウル地方からスピティ地方へ。スピティ地方に入ると完全なるチベット文化圏。
緑が少なくなり、街も人々の顔も信仰する宗教も変わって行き、確かに人々の心も変わっていった様に感じた。
ヒンドゥー教と仏教の混在するキナウル地方では小さな村は時々閉鎖的な事があって、私達外国人にとっては居心地が悪い事もあった。
けど、北に上がるにつれ、チベット仏教を信仰する人が増えて来て、もう道行く人が皆すごくいい笑顔で私達旅行者に笑ってくれる。ジュレーと挨拶をしてくれる。
偏っているかもしれないけれど、きっとそれはチベット仏教を信仰する人の心にブッダの教えを通して平和があるからかなと感じてしまう。
もちろん元々の性質もあるけれど。
なぜかチベット人の笑顔を見ると時々涙が出そうになる。それくらいピュアな笑顔を彼らは持ってる。
その笑顔は私の心にも平和を灯してくれるし、私もそういう人でありたいと思う。
全てを実行するのは時々難しいけれど、私はブッダの教えに確かに助けられて来たし、人生の指針にしているんだと思う。
私は毎日のお祈りなどはしないけれど、ブッディストなのかなと思う。
これは私の勝手な1つの想像だけれど、もし世界の多くの人がブッダの教えを知り実行し、常に自分を省みるならば、きっともっと平和な世界があるのかなと思う。ブッダの教えが解決の鍵を握ってる気がしている。
今回の旅で、1つ驚いたのはチベット語と日本語の数字が口に出すとすごく似てる事。
ゴンパに行った時に僧侶のおじいちゃんが数えてるのを聞いて驚いた。
いち、にい、さん、し、じゅう、じゅういち、じゅうに、じゅうさん じゅうし、ここはほぼ一緒。それ以外も少し似通ってる。
初めて私がチベタンに会ったのはネパールのチベット難民キャンプの村。どうしてチベタンがネパールに住んでるんだろうと不思議に思った。
島国の日本では日本人と形容できる人しかいなくって、民族というのはあるのかもしれないけど、あまり意識されてない。
旅をするまで、民族というものをほぼ意識した事がなかったけれど、民族が元々あって国境はあとから。
国籍とは別に民族としてのアイデンティティも皆持っている。
やっぱり、中国から渡って来たであろう私達はチベットとも何か近いものがあったのかも、もしかしたら昔の昔、同じ民族だったりしたかも、そこから別れていったのかもとか想像したり。
そして、日本人という新しいアイデンティティを確立してきたのかな。
そう遡っていくと皆が混血であり、元々は皆同じなのかな、きっとそうなんだなぁと思う。